先日やっと観てきましたよ、『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』。
もっとロングランするのかと思って油断してたら、私の住んでるとこの近辺では既に1日1回しか上映してなかったんで、危なかったです……。
あ、どうも。七里一(@AigisNunnally)です。
『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』。
結論を先に言うと、めちゃめちゃおもしろかったですよ。
そして注意書き。
この記事には、『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』及び『マン・オブ・スティール』のざっくりとしたネタバレが含まれます。
ご注意を!
『マン・オブ・スティール』を観て生まれた、小さな不安
先日バットマンの予習としてダークナイト三部作を観たあと、今度はスーパーマンの予習をしようと思ってTSUTAYAに行き、『マン・オブ・スティール』を借りました。
ぶっちゃけTSUTAYAで最初に見かけた時は、「へー、「スーパーマン」がタイトルに含まれてないスーパーマン映画があるんだ~」とかのんきなこと思ってたんですよね……w
しかし、その場でWikipediaをチェックしたら、これが『DCエクステンディッド・ユニバース』シリーズの第1作であること、『バットマンVSスーパーマン』はその続編であることがわかりまして、こりゃ観なきゃ駄目じゃんと。
そして、ダークナイトシリーズ観た興奮そのままに、『マン・オブ・スティール』を観始めたワケです。
序盤はよかった。うん。
自分でもコントロールの難しい超常的な力の持ち主、クラーク・ケント。その力の源、自分のルーツ、何一つわからなかった彼の、少年期の懊悩。両親以外の誰にも、自分の本当の姿を明かせないストレス。助けられたはずの父親を本人の指示とはいえ見殺しにしたトラウマ。こっそりと人助けをしつつ、世界を放浪し自分を知る手がかりを探す、青年期の試行錯誤。
地球にてクラーク・ケントの名を与えられた彼が、いったいどのような人間であるのかを、丁寧に描いていました。
とんでもないスーパーパワーと同時に、自身の存在に悩み傷つく当たり前の男の心を併せ持っている青年。そんな彼の姿、彼の感情を、我々は共有することができたのです。
しかし……なあ……(;・∀・)
クラークがクリプトンの宇宙船に乗り込み、父・ジョー=エル(の意識プログラム)と再会。そしてスーパーマンのスーツを着て、全力を解放したあたりから、どうにもバランスがおかしくなってしまいました。
一言で言うなら、アクション過剰。
……いや、スーパーマンってああいうものでしょと言われれば、確かにそのとおりなのかもしれないですよ?
けれど私は、アクションシーンがどれもやたら長く感じたんですよねえ。「このシーンにこんな長々と尺を割くだけの(ストーリー上の)意味はあるのか?」と不思議に思いながら観ていた次第です。
特に、バトルのバリエーションが少ないのがまずい。
結局のところ、スーパーマンとまともに戦えるのはクリプトン人だけ、地球人は戦闘力が隔絶しすぎてて相手にならないので仕方ないのかもですが……
1.クリプトン人が超スピード超パワーで殴りあい、お互いたいしたダメージを負わないまま周囲がぶっ壊れまくる
2.地球人が銃を撃ちまくり、まったくダメージを与えられないままクリプトン人にボコボコにされ、そしてやっぱり周囲がぶっ壊れまくる
この2つしかパターンがなく、どれも同じような構図で、しかもそれがやたら尺を取っている。
映像の迫力としてはもーホントに最高だったけれど……それだけだなあ、と。
というか、ああいうバトルって、私らはドラゴンボールで散々見ているんですよね。もう20年位前に。なので、残念ながらあまり新鮮みがありませんでした。
昔の作品ならいざしらず、2010年代にもなってこんな単純過ぎるバトルに長々と尺を割く必要ないでしょ、せっかく前半のドラマおもしろかったんだからもっとドラマをやれよと。これ以上盛り込むドラマがないならバトルでムダに引き延ばすなよと。そんな風に感じてしまったわけです。
また、戦いで街をぶっ壊しまくるスーパーマンに、爽快さだけを感じることは不可能でした。どうしても、彼の戦いによる被害を想像してしまう。彼が戦いの最中、周囲の破壊に一切気を取られている様子がなかったことで、そうした印象に拍車がかかってしまいました。
これは、人間をシリアスに描き出すストーリーとして物語をスタートさせてしまった弊害ですね。
はじめから最強無敵のヒーローが超パワーで悪をぶっ潰すという単純な主人公像だったなら、あるいはゴジラのように最初から人類の敵として設定されている怪獣のような存在だったなら、話は別だったろうに。
というわけで、「せっかくおもしろいのにもったいなさすぎる!!!」というのが、『マン・オブ・スティール』を観た私の感想でした。
ですから、『マン・オブ・スティール』を観終わった時点で、私の中には小さな不安がありました。
続編として、この作品の色をそのまま継いでしまったのなら。
『バットマンVSスーパーマン』は、自分が期待していたような面白い作品ではないかもしれない……
と。
実際、『バットマンVSスーパーマン』ではどうだったかというと……
いやあ……杞憂でしたねw
もう期待通り、いや期待以上でした。
物語は『マン・オブ・スティール』における最終決戦の裏側、スーパーマンとゾッド将軍の戦いで破壊されゆくメトロポリスから始まります。
車で、自らの足で、混乱の最中を駆けてゆく壮年の男。それが、ベン・アフレック演じる今作のブルース・ウェイン/バットマンでした。
自身が所有する会社のビルと、そこから逃げられなかった部下達の喪失。将来にわたって消えることのない障害を負った従業員。母親を失った幼い少女を抱き締め、スーパーマンの戦いを見つめるブルースの瞳に宿るのは、地球を守ってくれたヒーローへの感謝などではない。
――それも、当然の話。
喪失の悲しみ。破壊者たちへの憎悪。
そして、地球人類では、バットマンたる己では、彼らのスーパーパワーにどうやっても対抗し得ないという決定的な事実への焦燥。
冒頭のこのシーンは、この作品が『マン・オブ・スティール』の続編であることを示すと同時に、バットマンがスーパーマンを敵視するに足る根本的な理由を強烈に描き出す、極めて説得力のある場面でした。
感情が飽和したかのような無表情で、人智を超えた戦いを見つめるブルースの姿が印象的です。
このシーンを始めとして、『バットマンVSスーパーマン』は、バトルを含むほぼすべてのシーンにおいて、ストーリー上の必要性、意義をしっかりと感じることができました。
また、それによって描き出される各キャラクター、特にブルース・ウェイン/バットマン、クラーク・ケント/スーパーマン、レックス・ルーサーら、主要キャラ三人の人格であったりその背景であったりが、非常に魅力的でしたね。
『マン・オブ・スティール』で私が感じた不安は、ものの見事に粉砕されたわけですw
この記事はざっくりとした感想記事ということで、あまり細かいところまで深入りするのは避けようと思いますが、彼ら三人それぞれについて2,3記事書けそうなくらい強い魅力を感じました。
特に、ベン・アフレックが演じたバットマン。
私はクリスチャン・ベールが演じた『ダークナイト』版バットマンしか知らないけれど、彼とはぜんぜん違う、しかし非常に魅力的なバットマンを作り上げていました。
20年間戦い続け、様々なものを喪い、重たい疲労と諦念を背負いながらもなお戦う意志を捨てない、壮年の男。
スーパーマンやワンダーウーマンとは違い、あくまで地球人類の範疇の力しか持ち得ない彼が、莫大な資産、高度な知恵と技術、限界まで鍛えた肉体と技でもって戦いを挑んでいく姿は、思い返すだけで胸が熱くなります。
その強さの一方で、スーパーマンへの憎悪に囚われ、自身の信念でそれを無理やり覆い隠してなんとしてでも彼を排除しようとする、人間的な弱さも今作では描かれていました。
強さと弱さ、両面を深く描き出すキャラクター作りの様が、とても好みでした。
そんなわけで、『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』、大いに堪能いたしました。この作品を劇場で鑑賞することができてよかったです。
BD出たら買わなきゃ……(使命感)
ではでは、こんなところで。
↓よかったらRTしてくださいね!
未見の人はぜひ映画館へ。:
【映画感想】『バットマンVSスーパーマン』、期待以上の面白さ!!!【若干ネタバレあり】 https://t.co/yoG7f10Ac7— 七里 一 (@AigisNunnally) May 11, 2016