前の記事を書いてから、しばらく悩んでいた七里一(@AigisNunnally)です。
●【映画感想】スーサイド・スクワッド、いろいろともったいなさすぎる映画だったな……
なんかね。
ストーリーや個々のキャラクターについてより具体的に言及する記事を別に書こうと思ってたんですけど、書いてたら悪い点がモリモリになっちゃってですね。
前回もかなり批判的なんで、そんな記事ばっかり書くのもどうかと思って、躊躇いが生まれてしまったわけですよ。
でも書く。(ぉ
というわけで、今回の記事では、『スーサイド・スクワッド』をつまらなくした3つの短所を書いていこうと思います。
カタナが要らない子すぎる
カタナ。
リック・フラッグの護衛として、唯一志願して部隊に参加した女性。
……いやあ、もうほんと文字通りに要らない子でしたね。カタナ。
一人だけ日本人。武器は日本刀で、特攻服モチーフの衣装。カタナは、画的にはかなりユニークで、あの個性的な面々の中でもかなり目立ちます。
なのに、ストーリーにはほとんど絡まない、悪人部隊の面々にもほとんど絡まない、キャラクターとしての掘り下げも浅い。
一応、決戦直前に、死んだ夫への想いから涙するシーンがあったりはしますが、あんな重たい話をいきなりぶっこまれても感情移入のしようがないですよ。「お、おう」って感じ。
おまけに、味方側のほぼ全員が銃で武装する中、日本刀しか持たない彼女がリーダーの護衛ってどういうことやねん!!!と。あまりにも無理がありすぎる。
武器の差を覆すだけの圧倒的な力量であったり、とにかく何かしらの理由が映画の中で示されていれば話は別だったけど、特に何もなかったもんなあ。
それから、これは仕方ない面もありますが、日本語が拙かったですよね。
カタナを演じた福原かれんさんは日系アメリカ人で「日本語で演じられるハリウッド女優」ということなんだけど、やっぱ母語じゃないせいか、かなり無理のある日本語でした。最初に日本語を話し始めたシーンでは、
「あれ?なんで字幕出ねえんだ?……あっ、今、日本語喋ってるのか!!」
ってレベル。
いやまあね、日本人俳優の英語だってほとんどの場合ひっでーもんだし、福原さんの日本語をことさらに非難しようとは思わんのです。しかし、せめて日本で上映する時だけでも日本の声優に吹き替えてもらえばよかったのになあとは思いますね……。
あまりにも要らない子すぎて逆に気になってしまったので、原作コミックでのカタナについて軽く調べてみたところ、DCエクステンデッド・ユニバースでの今後の活躍が見込まれそうな立ち位置であることがわかりました。
要するに、『スーサイド・スクワッド』では、とりあえず顔見せできればそれでよかったんでしょうね。
にしたって、いろんな意味で要らない子過ぎてかわいそう……(´;ω;`)
BvsSでのワンダーウーマンも、顔見せの必要性があって登場させたのだと考えられるけれど、今後メタヒューマン達を動員するジャスティスリーグへと繋がっていくストーリー上の意味、スーパーマンに匹敵する戦闘要員としての意味がちゃんと与えられていました。
『スーサイドスクワッド』のカタナは、ぶっちゃけいてもいなくてもいい存在です。
顔見せしときたかったにしても、BvsSでのフラッシュやアクアマンみたいな、一瞬チラ見せしておく程度の出番で十分だったのではないだろうかって思うんですよね。
や、カタナをそうやってチラ見せするシーンをどうやって作ればいいか、私にはまったく思いつかないけれど……
ジョーカーが中途半端すぎる
はっきり言って、ジョーカーはキャラクターとして強烈過ぎるんですよね。
文字通りの「ジョーカー」。
コミックでも、かつてのバットマン映画でも、ジョーカーは非常に重要な役だったことと思います。(※私自身は、それらの作品はあらすじしか見ていないことを断っておきます)
おまけに、ジョーカー役のヒース・レジャーの怪演もあって凄まじい支持を獲得した『ダークナイト』から、まだ10年も経っていません。
新たなジョーカーが生まれるとなったら、そりゃあ注目され、話題も沸騰するってもんです。
だから出すならメインキャラクターの一角にガッチリ据えて、しっかりとストーリーに組み込む。でなければまったく逆に、チラ見せ程度に留めておく。そのように扱うべきキャラクターです。
そうでないと、ジョーカーはその強烈なイメージで映画の本筋をかき乱した上に、結局ジョーカー本人の魅力もうまく伝わりきらないという悲惨な事態を招いてしまうからです。
……で、『スーサイド・スクワッド』はまさしくそういう悲惨な事態に陥っていました。
ほんと何だったんだろうなあ、あのジョーカー。ジャレッド・レトの狂人演技はおもしろかっただけに、あの中途半端な描かれ方が不憫でならない。
ジョーカーを関わらせなかったらもう少し話がまとまったと思うんですが……しかしそうなると、ハーレイ・クインも出せなくなっちゃいそうですよね。彼女は、ジョーカーなしには成り立たないキャラクターだし。
ハーレイ・クインは『スーサイド・スクワッド』でダントツに華があるキャラクターなので、彼女が出ないとなると、もはや批判する気もなくなるようなしょーもない映画になってしまいそうです。
やっぱり、こういうコンセプトの映画を前描写なくシリーズ3本目にいきなり持ってきちゃったのがそもそもの間違いだったよ。うん。
スロー演出が多すぎる
『マン・オブ・スティール』の時からずっと思ってたけど、スロー演出がめっちゃクドいですよね?
あんだけスローを多用されると、「どうだカッコイイだろ!よーく観てくれよ!!」みたいな監督のドヤ顔を感じてしまってなんとなくイラッとしますw
……というのはまあ私の個人的な好みでしかないんですが。
しかし、『マン・オブ・スティール』『バットマンVSスーパーマン』のザック・スナイダー監督にせよ、『スーサイドスクワッド』のデヴィッド・エアー監督にせよ、スロー演出の致命的な欠点をもうちょっと真面目に考えた方がいいと思うんだけどなあ……
スロー演出の何がヤバいかというと、最高の名優の演技にすら存在する僅かな粗を、目立たせてしまうことですよ。
俳優というのは、どこまでいっても偽物です。
どれだけすばらしい演技力を持っていたとしても、彼らはプロの兵士、戦士ではない。本物の狂人ではない。本物に限りなく近づく努力はしていても、プロならばありえないぎこちなさ、不自然さはどうしたって残っちゃうわけです。
それでも、彼らの演技力を持ってすれば、普通は観客に違和感を持たれずに済みます。しかしスロー演出をあそこまで多用し、しかも一回の時間が長いと、観客にも気づかれてしまうわけですよ。
今見ている世界が作りものであること、見ている人々は役を演じる俳優でしかないことを思い出させてしまう……。
これは、映像演出技術としてかなりクリティカルな欠点ではないでしょうかね。
私はそう思います。
まとめ
というわけで……
・カタナがいらない子すぎる
・ジョーカーが中途半端すぎる
・スロー演出が多すぎる
の、「○○すぎる」3本立てでお送りしました。
批判ばっかりでちょっと座りが悪いので、「ココ良かったなあ」と思った部分についても後日また書こうと思います。
では、また。
刀は駄目でブーメランと縄が許させるんか
まさかコメント来てると思ってなくてほったらかしになってました。ごめんなさい。
……んで、私が「刀はおかしいだろ」って言ってるのは、「なんかよくわからん場所に悪人どもを率いて乗り込まなきゃならんリーダーを護衛する人間の武装として」であって、アメコミのキャラクターが個人の武装として何を選んでようが許せるも何もないっつーか……。
んー、これで伝わるかなあ。
伝わるも何も1年近く前のコメントなんですが。改めて申し訳ない。
時々、目にする機会があるが、いつ見ても、
批判コメントばっかでつまらん‼️